経産省のトイレ使用制限(最高裁)


 弁護士の最所です。

 経産省でのトイレを巡る裁判について、昨日、最高裁判決が出されました。

 まず、この訴訟は、人事院が行った判定(職場のトイレの使用等に係る行政措置の要求に対し、要求も認められない旨の判定)に対する取り消しを求めた裁判です。

 国家公務員法86条は、勤務条件に関して、適当な行政上の措置が行われることを要求できると規定しています。

 上告人が、この規定に基づいて、「職場の女子トイレを自由に使用されることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をした」ところ、人事院が「いずれの要求も認められない旨の判定」をしたことに対し、上告人が、この人事院の判定に対する取り消しを求め、裁判を起こした、これが、今回の裁判になります。

 人事院の判断が取り消されるべきか否か、これが審理の対象となっています。

 最高裁は、

 ① 人事院には、広範にわたる職員の勤務条件については、専門的判断が必要であることから、裁量が認められる。したがって、裁量権の範囲を逸脱、濫用した場合に違法となる。

 ② 上告人の受ける不利益について、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、自らが執務する階から離れた会の女性トイレ等を使用せざるを得ず、日常的に相応の不利益を受けている。

 ③ ア 性同一性障害である旨の医師の診断を受けている。イ 性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断を受けている。ウ 2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。エ 明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。オ 説明会の実施から判定がなされるに至るまでの間の4年10ヶ月間の間に特段の配慮をすべき他の職員が存するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。

 ④ 上告人が、「本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生じることは想定しがたく、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、上告人に対し、本件処遇による上記の不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。」「具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」「裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となる」

 と判断しました。

 ネット上で、様々な議論がなされていますが、最高裁の判断は、要するに、他の職員に対する具体的な不利益が現実に生じておらず、今後も生じる可能性がない中で、特定の個人に対し、生じている具体的な不利益を甘受すべきという人事院の判断が、おかしいと言っているだけです。その意味では、私自身は、事案の判断としては、すごく真っ当な判断だと思います。

 ところで、最高裁が、トランスジェンダーの女性の権利を認めた画期的な判断のように言われていますが、必ずしも、そうではないのではないかとも思っています。

 今回の判断は、トランスジェンダーの利益と他の職員の利益を比較衡量しているようにも見受けられます。比較衡量すること自体は、必ずしもおかしなことではないのですが、衡量要素として、明確に異を唱える職員がいなかった、トラブルが生じたことはない、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてない、といった事情が挙げられています。

 これらの事情が考慮要素として挙げられていることからすると、例えば、過去のトラウマから「男性」に対する嫌悪感を抱く女性職員が存在し、トランスジェンダーの女性トイレ使用に明確に異を唱え、女性トイレを利用しようとした、トランスジェンダーとの間で具体的なトラブルが生じていたというケースでは、結論が異なっていた可能性があります。

 ただ、そうだとすると、その差異は、声高に主張するかどうかの違いから生じるということにもなりかねず、果たして、それで良いのかという疑念がないわけではありません。

 私は、むしろ客観的に生じている具体的な不利益の程度を比較衡量すべきではないかと思っています。トランスジェンダーの女性に対し、日常的な不利益が生じている、これは事実として存在しています。一方で、他の職員が受ける不利益は、「男性」が女性トイレを利用することから生じる違和感、羞恥心、恐怖感等という主観的なものです。もちろん、主観的なものであっても、それを抱く相応の理由と蓋然性が存するのであれば、軽視できるものではありませんし、主観的なものだから、保護に値しないというものではありません。

 本件のケースでは、不特定又は多数の人々による使用が想定されている場所ではなく、想定されているのは職員のみ、「例外的」取扱について検討すべきは、上告人のみという極めて限定されたケースです。

 他の職員が抱くであろう、違和感、羞恥心に関しては、トランスジェンダー女性を女性として認めず、あくまでも「男性」であるとの前提に立つもので、この点については、様々な意見があるとは思いますが、私は、トランスジェンダーに対する理解が不十分な為であると考えています。自らと異なる立場の人たちを排斥しようと本能的に考えるのは、ある種当然のことです。ただ、当然であるからこそ、理性的に考え理解していくように努めなければ、差別がなくなることはありません。この点については、理性的な理解がなによりも必要だと考えています。

 恐怖感については、上告人が「男性」として性犯罪を行う可能性があるのかという観点(恐怖感を抱く前提となる事実に関する現実的な危険性があるのかという観点)で捉える必要があります。最高裁は、この点を配慮し、科学的な見地から「血液中における男性ホルモンの量が同世代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた」と認定しています。

 少なくとも、恐怖感を抱く前提となる事実に関する現実的な危険性がない以上、恐怖感を抱く相応の理由と蓋然性はなく、その意味では、仮に恐怖感を抱いたとしても、主観的な恐怖感を理由として、上告人に不利益を課すことは、やはり正当化できないと思います。そう考えないと、それこそ、自らが受け入れることができない対象に対して、「キモい」と感じる主観を重視しなければならなくなり、主観的な感情は人それぞれである以上、比較衡量のしようがありません。

 今回の最高裁の判決では、個々の裁判官が補足意見を述べています。補足意見を見ると、この問題について、それぞれの裁判官が相当考えられて判断されたことが窺えます。私は、明確に異を唱える職員がいなかった、トラブルが生じたことはない、との事情を衡量要素としていること等、必ずしも、賛同しかねる部分はありますが、様々な意見が存する状況の中で、個々の裁判官が相当考えられて判断された、今回の判決を支持したいと思います。