映画「Winny」


 弁護士の最所です。

 3月10日に公開されました「Winny」を、公開から一日遅れで見てきました。

 社会不安が生じたとき、誰かをスケープゴートにして、責任を押しつける、そして、その対象は、『普通』とは異なる、異端者。まさに『魔女狩り』と全く同じ構造です。

 見えない不安を『普通』とは異なる、異端者の責任にし、その異端者を排斥することで、不安の解消を図ろうとする、まさに「Winny」事件では、『オタク』の『天才』であった金子勇さんが、その対象でした。

 世間もマスコミも、攻撃の対象に対してレッテル貼りをします。

 いかに気持ち悪い『オタク』で、普通とは異なる変態的思考の持ち主であるのかというところを強調する、そして、だから、叩くことは正義であるという・・・。

 新しい技術を開発していく過程では、様々な問題が不可避的に生じます。

 開発の過程において、生じた問題点を、都度修正しながら、よりよいもののを作り上げていく、その過程において、不適切な利用をするものが現れ、それにより、大きな被害が生じた場合、不確かな技術を開発して公開した者は、責任を取らなければならないのか、これは非常に大きな問題です。

 実際に、「Winny」事件では、刑事事件化されて公判請求されたために、裁判が確定するまで、「Winny」の開発継続はおろか修正もできませんでした。

 数年間に亘って開発が停止される一方で、諸外国では新たな手法が開発され、新たなビジネスも生まれていく、この点に関して、映画の中で「Youtube」の記事が出ていたのが印象的でした。

 もし、刑事事件化されることなく、金子さんがそのまま開発を続けていたら、脆弱性の問題は直ちに改善できたでしょうし、著作権者が適切に収益を得ることができるシステムを構築することもできたのかもしれません。

 新しい技術を、違法に利用される危険性があるという理由だけで、刑事事件化し、ましてや身柄まで拘束するとすれば、日本で新たな技術を開発をする者などいなくなってしまいます。

 なお、この映画をご覧になる際には、本編が終わっても、席を立たれずに、エンドロールが終わるまで、お座りのまま、ご覧下さい。