検索による犯罪歴の表示


 先日、「ヤフー」と「グーグル」に対して、表示の差し止めを求める訴訟が京都地裁に提訴されたとの記事が配信されました。

 訴状の内容を見た訳ではないので、以下は、新聞社の各報道を前提としての私の考えです。

 『自分の名前を検索すると、過去の犯罪歴が表示されてしまうので、どうにかしてほしい。』

 こういった相談を受けることは多くありますが、現実には、非常に難しいというのが結論です。

 表現行為が名誉毀損と認められるためには、記載された内容が虚偽であることが大前提になります。

 もちろん、真実を記載した場合でも、記載された内容が①公共の利害に関しない事実であり、または、②記載の目的に公益目的がない、という場合には、名誉毀損と認定される可能性はあります。

 ただ、人の犯罪行為に関する事実は、通常、公共の利害に関する事実(①)とみなされます(刑法230条の2第2項参照)。公共の利害に関する事実を記載した場合には、余程の事情がない限り、記載の目的に公益目的がない(②)とは判断されないのが通常です。

 そうなると、過去の犯罪歴の公開については、原則として、名誉棄損に問うことは困難であると言わざるを得ません。

 今回の訴訟では、「無名の私人」であること、「犯罪は軽微」であることが、公益目的を欠くことの理由としてあげられているようです。

 仮に、「無名の私人」及び「犯罪は軽微」という点だけで、公益目的を欠くという判断がなされるとすれば、現在行われている犯罪報道の多くが公益目的を欠くということにもなりかねません。

 表現の自由を重視する裁判所が、そのような判断をするとは考えにくいのではないかというのが、私の率直な感想です。

 ただ、私は、著名な人物でもない人間が行った犯罪について、実名報道をすることに、どれほどの報道価値があるのかと、常々疑問をいだいております。  (犯罪を行えば、名前が公表されるという一般予防効果はあるかもしれませんが、名前の公表は公表者による私刑との見方もできなくはありません。) 

 インターネットが発達する前であれば、仮に、新聞や雑誌に掲載されたとしても、掲載された新聞や雑誌を見る人は、時の経過とともにいなくなり、やがては、そのような事件があったことすら、忘れられていくでしょう。

 ところが、現在のネット社会では、過去の犯罪事実は、ネット上に延々と残り続けていきます。

 しかも、その人の名前を検索すれば、誰もが容易に過去の情報に容易にアクセスすることができてしまうのです。

 その結果、就職ができないなど、社会復帰を図ること自体が困難になっていきます。犯罪を行った人物に対して、ある種のペナルティが課せられることはやむを得ないとしても、その課されるペナルティとして、あまりにも、重すぎるのではないか、そのように考えざるをえない現状があります。

 私は、事件から、一定の期間が生じ、事件そのものに対する社会の関心が失われたような場合には、他人に知られたくない情報としてのプライバシーとして一定の保護が与えられるべきではないかと思います。

 公表することに社会的な意義が失われた段階で、あえて、その人にとって他人に知られたくない犯罪歴を公表することは、プライバシー侵害として、違法と判断される場合もありうるのではないか、その場合、記載された情報についての削除も認められてしかるべきではないか、そのように考えております。

(一定の期間が経過した場合には、事案によって、裁判所が削除を認めてくれるケースもありますので、ご相談ください。)