湘南平塚事務所弁護士の最所です。
10月28日に、グーグルに対する検索結果の削除を裁判所が認めなかったと報道されています。
報道自体は、正確になされてはいるのですが、「検索結果の削除」というものが、何か特別なことであるかのように、一般的には、誤解されているのではないかと思っています。
確かに、グーグルは、従前から、検索結果は、「自動的に機械的に」インターネットの情報を収集して表示しているだけであり、検索結果に関していかなる意図、主観もないから、自身に削除義務がないであるとか、情報が掲載されているサイト運営者に対して、まずは、削除請求をすべきであるなどと、と主張していました。
グーグルの主張は、自身の検索サービスが、他のコンテンツとは異なる特別なものであると主張するものですが、果たして、そうでしょうか。
グーグルの主張を前提とすれば、いわゆるコピーサイトであったり、まとめサイトであったりしても、それらも、「自動的に機械的に」インターネットの情報を収集して表示しているという点では、何らの変わりもないはずですが、これらのサイトについての削除が認められることについては、それほど、疑問は持たれていません。
本来的には、グーグルといえども、検索結果の表示という、コンテンツサービスを提供する、一コンテンツプロバイダに過ぎないはずなのですが、この点が、一般的に、誤解されているように思います。
なにも、グーグルを特別視する必要はありません。グーグルが管理するウェブページの中に、他人の人格権を侵害するタイトルやスニペットが表示されているのであれば、客観的には、グーグルが人格権を侵害していると評価できるのですから、削除請求が認められるのは当然のことなのです。
今回の裁判でも、上記グーグルの主張は排斥されています。
すなわち、グーグルに対する検索結果の削除、それ自体が否定されると裁判所は判断しているわけではなく、単に、本件、個別、具体的な事情の下で、原告の削除請求は認められないと判断しているに過ぎません。
要するに、規範の点(一般論の点)でのグーグルの主張は否定され、一定の場合には、削除義務が認められることを前提に、本件では削除が認められる場合に該当しないと判断したということになります。
その意味では、通常の削除請求訴訟において、原告の請求が否定された、一つの事例判断ということになります。
単に、グーグルの管理するウェブページ上に、他人の人格権を侵害する表現が表示されているか否かという点について、裁判所が判断したというだけで、格別、従前の裁判所の判断枠組みが変わったとか、そういったものでもありません。
私の立場からすれば、検索結果に対する削除請求が、何か、特別なことであるかのように捉えられること自体、正確ではないと思っています。