検索結果に表示される名誉毀損表現に対する削除命令


弁護士の最所です。

1月19日に、「ウソの検索結果削除命令…東京高裁、ヤフーに」(読売新聞)との報道がなされています。

決定文自体を見ていませんので、以下は、報道された記事のみを前提としています。

まず、今回の削除対象は、「名誉毀損表現」がその対象とされています。

これに対して、最高裁が、グーグルに対して検索結果の削除を命じた対象は、「プライバシー権」侵害で、今回のケースとは、その対象が異なります。

名誉毀損とプライバシー権侵害の違いについて、非常にざっくり言えば、その違いは、その記載内容が「真実」か否かという点です。

もちろん、その記載内容が「真実」であった場合にも名誉毀損が成立する余地はありますが、通常は、公共の利害や公益目的と言った要件を欠くと判断されることは稀ですから、名誉毀損の事例においては、ほとんどのケースで、記載内容が真実であるか否かという点が争点とされ、その点を中心に裁判所は判断しています。

プライバシー権侵害が問題となったケースにおいて、最高裁は、検索結果の削除に関して、「当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には,検索事業者に対し,当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができる」との判断基準を示しました。

最高裁が、比較衡量の考え方を示したのは、「プライバシー権」と表現の自由が正面から相対峙する関係にあるためです。

例えば、ある人が過去にいかなる犯罪を犯したことがあるかどうか、これは、その人の属性を知る上でも非常に重要なものですし、特に、その人が、公職の選挙において立候補するようなケースでは、むしろ公にされるべきであるとも言えるでしょう。

その意味では、「プライバシー権」を「侵害」する行為も一定の場合には、正当な権利行使として認める必要があります。

一方、名誉毀損表現の場合、それが、真に名誉毀損表現に該当するような場合には、そのような表現を保護すべき必要性は全くありません。

真に名誉毀損表現に該当する表現(内容が虚偽であり、特定人の社会的評価を低下させるような表現)は、そもそも有「害」ですし、極論すれば「毒」に他なりません。

検索結果を表示することによって、社会に広く「毒」を拡散させているのであれば、これに対して差し止めを命じること(削除)は、至極当然のことなのです。

操業している工場から廃液が流されている、調査したところ「毒」性のあるものであることが判明した。「毒」性のあるものが拡散しないように、廃液を流すことを禁止する命令を出した。

これは、当たり前のことですし、だれもおかしいとは思わないはずです。

これをインターネット上の名誉毀損の事例で当てはめてみると、

検索エンジンが提供する検索結果に(=操業している工場)、特定人の社会的評価を低下させるような表現が表示されている(=廃液が流されている。)。裁判所が当事者から出された主張及び証拠をもとに判断したところ(=調査したところ)、内容が虚偽であり名誉毀損表現に該当するものであることが明らかになった、特定人に対する名誉毀損表現が流通しないように(=「毒」性のあるものが拡散しないように)、検索結果に表示させないように、との命令を出した(=廃液を流すことを禁止する命令を出した。)。

ということになります。

こういった判断が出されると、必ず、検索エンジンの提供者が、検索結果が真実かどうかなどを立証するのは困難であって、無理を強いることになる、あるいは、表現の萎縮効果が生じるといった意見が出されます。

しかし、今回の裁判所の判断は、差し止め(削除)の判断であって、検索エンジン提供者に対する損害賠償責任を認めたものではありません。

「あなた方の責任の点はともかくとして、毒性のあるものが拡散しているという現状があるので、毒性のあるものが拡散しないようにしてください。」との判断を裁判所がしたというだけの話です。

仮に、ある表現行為を行ったものに対して、安易に過剰な責任が生じることを認めてしまうと、表現行為を行おうとする人は、「こんなことを書いても大丈夫だろうか、損害賠償とか刑事罰が課されると嫌のでやめておこう。」という発想になります。

これが、これが萎縮効果と呼ばれるものです。

もちろん、差し止めの場合であっても、差し止めによって、流通が阻害され、経済的な損失を被るような場合には、萎縮効果が生じる場合もあります。

例えば、出版物の差し止めの場合は、流通が止まりますし、費用をかけて印刷したものの販売ができなくなりますので、萎縮効果についても考える必要があるでしょう。

ところが、検索エンジンの場合には、単に表示しないようにするだけですし、それによって、出版物の場合のように膨大な在庫が発生するというような関係には立ちません。

仮に、表示させないようにすることが物理的にも経済的にも膨大なコストがかかるというのであれば、萎縮効果についても考える必要があるでしょう(もっとも、少なくともそのような事情はないはずですが。)。

しかしながら、仮にそのような事情があって、そもそも削除をすることが困難だというのであれば、「毒」性のあるものの拡散を有効に防止する措置を講じることができないシステムを提供していることに他ならない訳ですから、そのような「不完全なシステム」を提供すること自体が、本来的には、禁止されるべきものであるはずです。

検索エンジンの社会的有用性そのものについては否定するつもりはありませんが、有用なシステムの提供によって、不可避的に生じる被害を防止する手段を講じることができないのであれば、それは、もはや、社会的に有用なシステムであるとは言えません。

少なくとも、私は、そのように考えています。