グーグルに対する検索結果の差止訴訟


弁護士の最所です。

グーグルに対して、検索結果の削除を求める訴訟(本件では、グーグルによって、起訴命令の申立てがなされて、訴訟に移行したようです。)が、提起されたとの報道がなされています。

朝日新聞デジタル

グーグルに対しては、検索結果の削除を命じる仮処分命令は既に出されていますが、グーグルは、仮処分ではなく、本案で徹底的に争う方針のようです。

内容を確認したわけではないので、グーグルの主張は定かではありませんが、おそらく、グーグルは、検索エンジンというものの有意義性を主張し、自動的かつ機械的にサイトの記載内容を示しているに過ぎないとの趣旨の主張を行っているのだと思います。

仮に、グーグルの主張が、自動的かつ機械的に表示しているに過ぎないから、過失がないとの趣旨であれば、そもそも、私は理由がないと考えています。

表現行為の事前差し止めに関し、いわゆる北方ジャーナル事件では、事前差し止めの要件として、「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるとき」と判示されています。

判示内容を見る限り、北方ジャーナル事件では、差止の要件として、不法行為責任が成立していることは、必ずしも必要とされていません。

実質的に考えても、違法な行為がなされ、その違法な行為によって重大な損害が発生しようとしているのであれば、速やかに差止を認めなければならないことは当然のことだと思います。

例えば、工場から有害物質が排出されていることが判明すれば、工場に責任が認められるか否かという問題以前に、有害物質を排出することの差止が認められなければならないことは、ある種当然といえるでしょう。

本来的に、差止の可否と不法行為責任の成立とは、次元の異なる問題であるはずです。

ところが、殊、検索エンジンの問題では、この基本的な考え方が忘れられているのではないかと思わざるを得ないという現状があります。

また、ひょっとしたら、グーグルの主張は、自らの行為は社会的に有用であるから違法性がないとの主張なのかもしれません。

しかしながら、仮に、社会的に有用であるとしても、社会的に有用な行為によって、なんら帰責性のない人に対する重大な人権侵害が不可避的に発生するのであれば、重大な人権侵害が生じないようにする手当がなされない限り、当該行為を放置することは許されるべきではないでしょう。

これは、仮に、工場から有害物質が不可避的に発生してしまうのであれば、有害物質を安全に除去して環境に影響を与えない技術が確立しない限り、工場に操業を認めることができないことと同じ理屈なはずです。

仮に、自動的かつ機械的にサイトの記載内容を表示するものだとしても、その表示によって、ある人に対する重大な人権侵害が生じるのであれば、速やかに、表示されないようにしなければならない、このことは、危険な物質を扱おうとする企業にとって課せられた義務とパラレルに考えれば、至極当然のことと言えるでしょう。

何も、検索エンジンだけを特別に考える必要はないのです。

そもそも、グーグルの提供するサービスは、キーワードを入力すると、そのキーワードに関連するインターネット上の情報が表示されるというものです。

インターネット上の情報を収集し、表示するという点では、いわゆるまとめサイトと原理的には異なりません。要するに検索エンジンとは言っても、「インターネット上の情報を検索して表示する」という、コンテンツを提供しているに過ぎないのです。

コンテンツを提供しているサイトに、自らの権利を侵害する表示がなされていれば、表示の差止が認められる、これは、極々当たり前のことなのです。

このことは、EU裁判所が「忘れられる権利」に関し、グーグルが削除義務を負うと判断したことからも明らかです。

検索エンジンだけを特別扱いする必要はない、これが、差止の仮処分命令を発令した裁判所の判断だと思います。

(※「忘れられる権利」に関しては、権利の性質が議論されたというよりは、徹頭徹尾、グーグルが削除の義務を負うかという点に関する判断がなされています。この点については、「忘れられる権利」の性質が、初めて認められたように言われている点は、ちょっと実態とは異なるのではないかと思っています。)