「ジャーナリスト」と真の英雄


フリージャーナリスト安田純平さんが無事解放されました。このことは大変喜ばしいニュースだと思います。本来、喜ぶべきニュースであるにも拘わらず、なぜ、ネット上でバッシングが起きるのか、この点については、別途考える必要があると思っています。

ネット上の「世論」は、端的にいうと、その人(あるいはその人の属性)が好きか、嫌いかというスタンスの違いで形成されていくという側面があることは否めません。インターネットは、一方的に放送されるテレビメディア等とは異なり、自らの嗜好によって、情報を取捨選択することができる点が大きな違いです。

そのため、今回のケースで言えば、「ジャーナリスト」という属性に対して好ましくない考えを持っている人が、ある一方では集まり、ある一方では政権与党に対して好ましくない考えを持っている人が集まって、それぞれの言論を構成しているのではないかと思います。

私個人としては、「ジャーナリスト」が危険な場所に赴き、取材することについては、命がけで自らの職責を果たそうとしているという意味で尊敬に値すると思っています。危険だという理由で誰も行かなければ、一般人にとって、現場の状況は全く分かりませんし、知ることもできません。危険な戦場でジャーナリストが撮影した一枚の写真が、戦争を終わらせ、多くの人命を救うこともあるのですから、そのような「ジャーナリスト」の活動は崇高なものというべきでしょう。

ただ、現在では、ビデオカメラやパソコン、各種通信機器が、安価で準備できるようになり、誰でもインターネット上に情報発信ができるようになりました。その意味は、誰もが「ジャーナリスト」になれてしまいます。その中には、見方によっては、単なる「旅行者」と変わらないレベルの人がいるかもしれません。

結局のところ、その人が、「ジャーナリスト」なのかについては、その人のこれまでの報道内容、取材によって報道しようと考えた内容を含めて検証されなければならないと思っています。

また、「ジャーナリスト」であれば、相応の準備、リスク管理は当然に求められることになります。いかに自らの職責が崇高であるとしても、あまりにも無防備であったとすれば、それは、プロフェッショナルと呼ぶにはほど遠いと言わざるを得ません。

その意味で、今回無事に救出された安田さんが、どの程度の事前準備をしていたのかについては、検証されてしかるべきであると思います。雪山で遭難した人が救助された場合、その装備については、同様の事件が起きないようにするために、必ず検証され、議論されるのですから、それは、「ジャーナリスト」としても、同じことだと思います。

また、今回、救助直後から、政府が何もしていなかったという批判がなされています。仮に、軽装かつ単独で雪山登山をした結果、遭難して、山岳隊に救助された人(あるいはその周囲の人)が、救助が遅いとか、救助のやり方がおかしいとか、救出された直後に発言したとしたら、やはり、バッシングを受けるのではないでしょうか。

いかなる事情があれ、政府が救助すべきは当然ですし、自己責任だから放っておけというのは、危険な仕事を行っている人に対する無理解から生じるものだと思っていますので、私は同意することはできません。

しかしながら、真に英雄視すべきは、有用な情報を取得し、誰にも迷惑をかけずに無事に帰国した人であって、自らの準備不足や見識不足で拘束され、結果的に助けられた人を英雄視するような風潮は誤っていると思っています。

今回救出された安田さんがどの程度の事前準備をしていたのかは定かではありませんが、少なくとも、十分な検証がなされない段階で、英雄視すべきは時期尚早だと思っています。

本当の英雄は、実際には、明らかにできない様々な事情がある中で、決して明らかにすることができない(あるいは永久に明らかにされないであろう)、安田さんを救助するために奮闘した人々(政府関係者も含む。)であって、本当の英雄に対して、むしろ非難するような「ジャーナリスト」を擁護しようとする気にはなれないというのが、私の率直な感想です。