「しょせん他人事ですから」


 弁護士の最所です。

 清水陽平先生が監修された「しょせん他人事ですから」のコミックが発売されました。

 清水陽平先生は、発信者情報開示請求における第一人者で、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」構成員もされています。

 そんな清水陽平先生が監修されたものだけに、その内容はまさにリアルで、実際の発信者情報開示の現場がわかる一冊であることは間違いありません(※清水陽平先生が監修はされていますが、登場する弁護士のキャラクターと、実際の清水陽平先生のキャラクターとは、かなり異なっていますので、念のため。)。

 ところで、この「しょせん他人事ですから」とのタイトル、なぜ、このようなタイトルがつけられたのでしょうか。

 経緯ついては、コミックの解説コラムに書かれています(「文春オンライン」でも説明されています)ので、是非、ご覧下さい。

 清水陽平先生が仰っているように、弁護士の業務は、他人の紛争に介入していく仕事です。

 言うなれば、ネガティブな感情が蔓延している中で業務を行わなければなりません。

 業務の性質自体がネガティブなものですから、毎回、当事者と同じ立場となってしまっては、とてもではありませんが、精神が持ちません。

 また、紛争当事者は、これまでの経緯等から、客観的かつ冷静に、事態を把握することが困難になっています。

 紛争解決の為には、最終的には、裁判手続を用いる必要がありますが、裁判手続では、客観的な第三者である裁判官に対して、自らの主張を、証拠に基づいて、説得的に説明しなければなりません。

 証拠を客観的に見る、これは紛争当事者にとっては、土台無理な話です。どうしても、自らに都合の良いように見てしまいますし、自らに不利な証拠については、積極的に見ようとはしません。

 また、自らに正義があるのだから、優秀な裁判官であれば、絶対に分かってくれるはずだと思ってしまったりもします。

 ところが、実際の裁判官の判断は、裁判所に提出された証拠を客観的に見て、この人が言っていることもわかるけれども、それを裏付ける証拠がない以上、判決では認定できないなぁなどと考えていたりする訳です。

 それを、例えば和解についての話し合いの席で、裁判官から「仰っている事は良く分かります。」と言われたからと言って、勝てると判断してしまっては、非常に不利な結果となってしまいます。

 人は、自らに都合の悪い事実を見ようとはしません。常に、都合の良いストリーで考えがちです。そのような当事者の立場から、弁護士が、一歩引いて客観的な立場から助言する、これは、非常に重要なことです。

 とはいえ、自分にとって、不利なことを言われるというのは、これもまた良い気分はしません。場合によっては、「なぜ、自分が雇った弁護士なのに、相手の味方をするんだ!」、このように感じてしまうのも、当然だと思います。

 だからこそ、弁護士と依頼者との間には、信頼関係が必要になります。

 「しょせん他人事」の弁護士との間に信頼関係を築く、これは大変なことではありますが、より良い解決の為には、どうしても必要なことなのです。