ツイッターの逮捕歴に関する最高裁判決


 弁護士の最所です。

 令和4年6月24日に、ツイッターの逮捕歴に関する最高裁判決の言渡がありました。原告訴訟代理人は、サイバーアーツ法律事務の田中一哉先生です。

 田中一哉先生は、これまでにも、グーグルやTwitterを始めとする、海外法人に対する裁判上の対応を数多く手がけられてきた、まさに、インターネット問題に関する第一人者の先生です。

 犯罪歴に関する削除については、特に平成29年最高裁判決以降、感覚として、非常に厳しくなったという印象があります。

 これは、平成29年判決で最高裁が判示した「当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」という基準が、本来、検索事業者を対象とする場合に限定された基準であるにも拘わらず、基準自体が一人歩きして、犯罪歴に対する削除を求める場合の基準として用いられてしまっていたためです。

 この影響を、身をもって体験され、裁判所から煮え湯を飲まされ続けていたのが、田中一哉先生です。田中一哉先生は、そんな裁判所に対して、何度裏切られても、裁判所を信じて、これまでも、闘ってこられていました。

 今回の事件も、平成29年最判の基準は、検索事業者に限定されたものだということを地裁段階から主張され、地裁においてその主張が認められたにも拘わらず、東京高裁は、「当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」に該当しないとして、逆転敗訴の判決を出したのです。

 平成29年最判を普通に読めば、それが検索事業者についての判断であることは明確に分かります。

 それにも関わらず、今回の原審である東京高裁を始め、多くの裁判所は、最高裁が犯罪歴の削除に関する判断を示した基準であると妄信し、犯罪歴の削除を、頑なに否定してきました。

 今回の判決でも、平成29年判決は引用されています。その上で、「当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」という基準を採用しないと明言しました。最高裁は、平成29年最判の基準は、検索事業者に限定されたものであることを明らかにしたといえます。

 さらに、ツイッターの検索機能について「上告人の氏名を条件としてツイートを検索すると検索結果として本件各ツイートが表示されるのであるから、本件事実を知らない上告人と面識のある者に本件事実が伝達される可能性が小さいとはいえない。」として、プライバシー侵害の程度が高いことの理由付けとして用いています。

 これは、東京高裁が、ツイッターを(検索事業者と同様に)情報流通の基盤であると判断したことを否定した理由であるとも取れます。

 いずれにしても、今回の最高裁判決によって、今後は、過去の軽微な犯罪歴が残り続けることで、更生の利益が侵害され続ける状況を是正することができるきっかけとなるでしょう。 

 また、今回、最高裁は、プライバシー権に基づく、削除、すなわち、表現行為の差止を認めています。これまで、最高裁が、プライバシー権侵害だけで、明示的に、人格権に基づく差止を認めた事例はなかったはずです。今回の規範を見ると、損害賠償請求の事案であるノンフィクション逆転事件の規範と基本的に同じ規範が用いられています。差止の規範と、損害賠償の規範について差異を設けることなく、同じ規範で判断された、その意味でも、今回の最高裁判決の意義は非常に大きいと思います。

 今回の判決では、草野耕一裁判官の補足意見が述べられています。この補足意見のインパクトは非常に大きく、よくここまで言ってくれたと思っています。

 補足意見では、判決で示された規範に、本件事案の事情を詳細にあてはめ、インターネットが発達した現代における実名報道の必要性について正面から論じています。公的立場にない人に対する実名報道の必要性自体を否定しているように思えます。

 「刑の執行が完了し、刑の言渡しの効力もなくなっている状況下において、実名報道の制裁的機能がもたらす効用をプライバシー侵害の可否をはかるうえでの比較衡量の対象となる社会的利益として評価する余地は全くないか、あるとしても僅少である」

 「実名報道がなされることにより犯罪者やその家族が受けるであろう精神的ないしは経済的苦しみを想像することに快楽を見出す人の存在を指摘せねばならない。人間には他人の不幸に嗜虐的快楽を覚える心性があることは不幸な事実であり(わが国には、古来「隣りの不幸は蜜の味」と嘯くことを許容するサブカルチャーが存在していると説く社会科学者もいる。)、実名報道がインターネット上で拡散しやすいとすれば、その背景にはこのような人間の心性が少なからぬ役割を果たしているように思われる(この心性ないしはそれがもたらす快楽のことを社会科学の用語を使って、以下、「負の外的選好」といい、負の外的選好をもたらす実名報道の機能を、以下、「実名報道の外的選好機能」という。)。しかしながら、負の外的選好が、豊かで公正で寛容な社会の形成を妨げるものであることは明白であり、そうである以上、実名報道がもたらす負の外的選好をもってプライバシー侵害の可否をはかるうえでの比較衡量の対象となる社会的利益と考えることはできない(なお、実名報道の外的選好機能は国民の応報感情を充足させる限度において一定の社会的意義を有しているといえなくもないが、この点については、実名報道の制裁機能の項において既に斟酌されている。)。」

 この草野耕一裁判官の補足意見は、これから、きっと、多くの研究者の論文でも引用され、今後の裁判だけではなく、社会にも重大な影響を及ぼすことになるでしょう。

 田中一哉先生は、最高裁の弁論で、「最高裁の判決が、更生の意思ある者に、やり直しの機会を与える端緒になるよう希望します」と述べられました。この言葉に、田中一哉先生の思いが集約されています。この言葉が、最高裁判事の心に刺さったのだと思います。

 田中一哉先生の強い信念と長年にわたる地道な努力に、最高裁が応えてくれた、令和4年6月24日は、最高裁が少数者の人権保障の最後の砦であることを、改めて確認出来た記念日です。