既存メディアの敗因!?


 弁護士の最所です。

 兵庫県知事選挙で、斎藤知事が再選されました。

 今回の選挙では、インターネットが大きな影響を果たしたことが注目されています。

オールドメディア対ニューメディア

 斎藤知事を実質的に応援していた立花孝志氏のYoutube動画を見ていたのですが、立花孝志氏の話は面白いし、分かりやすい、そして、なによりも、攻撃の仕方がうまい。

 対立軸を、オールドメディア対ニューメディアへと持ち込み、既存メディアは、報道すべき事実を報道しない、真実は、インターネットにあると主張。

 そして、これがインターネットの特質なのですが、立花孝志氏のYoutube動画を見ると、それに関連する動画が表示され、それらの動画を見ていると、徐々に、関連する動画ばかりが表示されるようになります。

 そうすると、どうなるか。ネットを見れば、斎藤知事はむしろ被害者だ、既得権益を守ろうとする勢力から不当に虐げられている、既存メディアは、真実を伝えていない、といった動画ばかりが表示され、そのような内容の動画ばかりを見ることになります。

 そして、影響力を有する著名人による、斎藤さん、ごめんなさい、私、間違っていました、という内容の動画が公開され、同時に、SNS上では、対立候補者が、こういうことを言っていた、これらの人物は繋がっている、といった情報が拡散されていきました。

既存メディアの論調?

 これに対し、既存メディアは、インターネットで「デマ」が拡散されているとだけ報道し、具体的にどこが間違っているのかについては、全く報道されない。信用するな、という論調だけが述べられる、これが、選挙前の状況です。

 また、選挙後の既存メディアの報道を見ていると、インターネットは「デマ」が拡散し、真偽不明の情報が拡散されている、という点が強調され、だから、ネットは怖い、ポピュリズムだ、インターネットを信用するな、必要な情報は、我々が吟味した上で伝える、概ね、このような論調(少なくとも、そのように見える。)だったように思います。

既存メディアの発想!?

 既存メディアの発想は、結局のところ「正しいこと」を報道していれば世論はついてくる、そのような発想です。その意味では、1960年代、70年代と、発想自体は、全く変わっていません。

 実際、今回のケースでも、斎藤知事を叩いて、辞職までもって行ったところまでは想定の範囲内だったのでしょうが、その後、自分たちが、対立構造の中に取り込まれてしまった、「既得権益者の側」として捉えられてしまったということは、想像すらしていなかったのだと思います。

 もちろん、マスコミには、何を報道し、何を報道しないのかの自由はあります。

 しかしながら、一般の人が求めているのは、自分たちが判断しうる情報を多角的に報道して欲しい、端的に言えば、単に知りたいので、情報が欲しい、情報に対する欲求です。

 これを、既存メディアは満たすことが出来ていなかった、これが現状だと思います。

既存メディアに対する攻撃!

 これに対し、インターネット上では、既存メディアは、意図的にこの情報を報道しない、本来情報を提供する側であるはずなのに、なぜ隠蔽しているのか、それは、既得権益者と繋がっているからだ、このような内容の動画が流れていました。

 単純に、ポピュリズム、デマと言ってしまうのは、簡単ですが、それでは、情報を求めている一般人のニーズに答えることはできません。

斎藤知事の対応には問題があった!?

 私は、斎藤知事の「内部告発」に対する対応は間違っていたと思います。少なくとも、形式上、「内部告発」に該当するような形で行われたものについては、たとえ、それが、何ら根拠がない、名誉毀損に該当するような内容のものであったとしても、一応は、形式にしたがって「内部告発」として取り扱うべきだったと思っています。

 もし、「内部告発」に該当するか否かについて、初期の段階で実質的に判断してしまうと、仮に、真実の告発であった場合に、「内部告発」者の保護が図れなくなってしまいます。

 その意味で、「内部告発」が正当なものかどうかに拘わらず、「内部告発」者を特定しようとする行為自体が問題であって、この点について批判を受けることはやむを得ません。

 また、その後の懲戒処分についても、懲戒の理由が別の理由に基づくものであったとしても、形式上「内部告発」が行われた場合に、告発者を特定した上で、その者を処分をすれば、処分自体が、「内部告発」者に対する不利益取扱であると見えてしまうことは、当然です。

 少なくとも、疑念を持たれてしまう対応はすべきではなかったと思います。

既存メディアの対応の問題点!

 一方、既存メディアは、一度「悪人」のレッテルを貼ると、とことんまで叩きます。今回のケースでは、県民局長の自殺の原因が、斎藤知事の対応によるものだと断定するような論調で報道されていました。

 これに対して、異を唱えたのが、立花孝志氏です。立花孝志氏は、県民局長の業務用パソコンの中身について、プライバシーを理由に報道しないことはおかしい、本来、情報を取得すべき立場にある既存マスコミが、むしろ情報を隠蔽している、このような内容の主張を行っていました。

 私は、業務用パソコンの中身については、詳細を報道する必要はないにしても、どのような内容のものが存在していたのか、そもそも存在していなかったのか、その点についての報道を行うべきだったと思っています。

既存メディアの傲り!?

 普段、ある意味、報道の自由の名の下に、プライバシーに関する事実を報道していながら、今回についてだけ、プライバシーだから公開しないという対応をすれば、それは、一般の人は不信感を抱くはずです。だからこそ、立花孝志氏の発言の方が説得力があるように写ったのだと思います。

 インターネットでは、真偽不明の情報やデマが拡散している、だから信用できない、信用できるのは、自分たちが報道する「真実」だけだ、「正しいこと」を報道すれば、世論はついてくる、そのような、古い考え方が否定された、それが、今回の兵庫県知事選挙の結果だったのだろうと思います。